一般社団法人 日本ブッフェ協会

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History
ブッフェの歴史

バイキングは和製英語で、ブッフェの祖先は北欧のスモーガスボードというと、多くの人が驚きます。「スモーガスボード」はスウェーデン語で「パンとバターの食卓」を意味しており、パンの上に色々な具材を載せて食べる形態を指していました。1700年代から続いていると言います。

具材は非常に豊かで、50種類以上に及びます。牛肉、鶏肉、野鳥肉、ローストビーフ、ハム、ソーセージ、牛タン、レバーペースト、ミートボール、ニシンの酢漬け、サケのマリネ、小エビ、アンチョビ、キャビア、ウニ、イクラ、ウナギの燻製、鯖の燻製、タラの卵、チーズ、グラタン、マカロニサラダ、ピックルス、パイナップル、パパイヤなどが食べられていたそうです。

一度にたくさんの料理を取るのではなく、皿に少しずつ盛り付けていくのがよいとされています。テーブルと料理台を何度も往復して、皿の数が多ければ多いほど、マナがーがよいとされているのです。

 

開業メニュー表紙「開業メニュー表紙/帝国ホテル提供」
開業メニュー表紙「開業メニュー表紙/帝国ホテル提供」
バイキング開業メニュー「バイキング開業メニュー / 帝国ホテル提供」
バイキング開業メニュー「バイキング開業メニュー / 帝国ホテル提供」

 

1957年、帝国ホテルの支配人であった犬丸徹三氏が新しくオープンするレストランのコンセプトを考えていた時、日本に新しく乗り入れたスカンジナビア航空でコペンハーゲンに渡り、スモーガスボードと出会ったと言われています。「魚介類は日本人の味覚に合うし、豪華でボリュームがある。好みのものを自由に食べるのもユニークだ」ということで、1958年始めに、パリの「リッツ ホテル」で研修中の村上信夫氏に研究するように伝えました。

村上氏は最初パリのシャンゼリゼのお店を訪れましたが、本場で学んだ方がよいと言われ、コペンハーゲンにまで飛んで行きました。街中のレストランで学んだ後にホテルのレストランへ移ります。次第に料理のコツを覚え、たくさんのレシピを考案していきました。1958年6月に、3年余りのヨーロッパ修行を終え、7月下旬に、8月1日にオープンする第二新館の料理長に任命されました。この地下1階に造られたレストラン「インペリアル バイキング」こそが、日本で最初のブッフェ店なのです。

バイキングという名前は社内公募で決まりました。カーク・ダグラス主演の海賊映画「バイキング」で、豪快に食べたり飲んだりするシーンがありました。これをイメージして、ボーイの大井英治氏を含めた3名が「バイキング」という名前で応募して当選したそうです。

 

招聘スタッフ「開業当時のデンマークからの招聘スタッフ(コック、ウェーター、キッチンデコレーター)/ 帝国ホテル提供」
招聘スタッフ「開業当時のデンマークからの招聘スタッフ(コック、ウェーター、キッチンデコレーター)/ 帝国ホテル提供」
料理台「ブッフェ台 / 帝国ホテル提供」
料理台「ブッフェ台 / 帝国ホテル提供」

 

当時の値段でランチが1200円、ディナーが1500円、種類は40種程でした。国鉄最低料金が10円、コーヒーが50円、映画館の入場料が150円、相撲の正面桟敷席が1000円という時代です。1800円も出せば帝国ホテルに一泊できたほどでした。非常に高価でしたが、予約が取りづらく、行列ができるほどの盛況ぶりでした。

8月24日発行の「週刊朝日」では、社会評論家の大宅壮一氏が「千二百円で北欧料理がブッフェ」と紹介し、その年にデビューして新人王に輝いた巨人の長嶋茂雄氏、プロレスラーの力道山さん、作家の遠藤周作さんなどの有名人も訪れました。

メニューは、スモークサーモン、うなぎのゼリー寄せ、レバーペースト、伊勢海老の水煮などの冷製料理を中心に、当時はまだ珍しく、食べ方も分からなかったブルーチーズや黒パンもありました。デニッシュペストリーもこの時に始めて日本に紹介されたのです。まさに時代の最先端をいく内容でした。

 

料理長「本館料理長 一柳一雄氏(右)と新館料理長 村上信夫氏(左)/ 帝国ホテル提供」
料理長「本館料理長 一柳一雄氏(右)と新館料理長 村上信夫氏(左)/ 帝国ホテル提供」

 

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